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Channel: 映画の感想文日記
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★ 『テキサスタワー』

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2016年。アメリカ。"TOWER".

 キース・メイトランド監督・製作・美術。

 1966年8月にテキサス大学オースティン校で発生した銃乱射事件に巻き込まれた人々のその後を追ったドキュメンタリー映画。事件は何度も映画化やテレビドラマ化されたり、スティーヴン・キングの『ハイスクール・パニック』の題材になったりして有名だが、世界中の人々に与えた文化的ショックの度合は事件そのものがかすんで見えるほど大きい。

 しかし、この映画は犯人にはほとんど触れることなく、ロトスコープ(実写映像をアニメ化したもの)と当時のニュース映像やフィルム、それに現在の映像を使って、現在進行形で起こる事件として物語られている。

 見ている者は1966年8月のテキサス大学構内に自分が居合わせてしまったかのような恐怖を経験することになる。ロトスコープを使った映画には『スキャナー・ダークリー』等があったが、ロトスコープはこの映画『テキサスタワー』のために発明したと言われてもいいほどに効果的で、リアルタイムの恐怖心を観客に与えることに成功している。

 何が起こっているのかわからないが、広場にいるのは危険だという混乱した状態の中でそこにいた人々の物語が語られていく。

   IMDb

 恋人とおなかの中に赤ん坊がいる女性が、一瞬にして恋人と赤ん坊を失ってしまう。その女性クレアは自らも銃弾を受けて広場に倒れてしまう。傍らには恋人の死体が横たわっている、しかし誰も助けに来ない。助けに向かえばその人も銃弾を浴びるからだ。

 そのクレアが現在も健在であり、彼女が言う、「犯人を憎むことなんて出来ないわ、私は彼を許します。」という言葉が衝撃だった。何らかの宗教的な背景があるにせよ、見ているこちら側の汚れた心を浄化してくれるような一言だった。

 

 ある女性が回想する、「あれは本当の勇気が試される瞬間だった、そして私は何もできずにただ隠れていたの。」という後悔の言葉には、事件から50年が経過して、このタイミングを逃したら発言する機会すら失ってしまう、これを映画にしてくれてありがとうという感謝の想いが全ての方向に向けて発せられており、これを見ている私も同じ想いを共有できたことがうれしかった。

 おびえながらも勇気を振り絞ってクレアの救出に向かった黒メガネの青年は、「あの時の私はバカみたいに黒ずくめの服を着ていた。」と語る。ビートニクかぶれの青年だったのだろうが、現在では彼にとってビートニクという概念はもはや必要なくなったということを示している。そんな細部が妙に生々しく、現在進行形の事件だという感覚を見ているこちら側に与える。

 陰惨な事件を題材にしたドキュメンタリー映画だったが、なぜか幸福な感情の余韻に浸ることのできる奇妙な作品だった。おそらく10年後だったらもう事件の関係者で存命している人は少数になってしまうという最高のタイミングが映画に幸福感をもたらしているのかも知れない。

 Netflixが日本に上陸して、これまで日本には輸入されなかったインデペンデント資本のドキュメンタリー映画やマイナーな映画が数多くみられるようになったせいで、毎日の日課がNetflixの新作をチェックするほどに依存の度合いが高まっていることには危機感が少しある。

 


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