2010年。トルコ/ドイツ。"BAL".
セミフ・カブランオール監督・脚本。
どういう映画なのか、何の予備知識もなしに見た映画だった。それがこんなに素晴らしい映画だったとは、ひまつぶしの時間のつもりだったものが、
この映画を見た人だけが共有することの出来る、人生の中での宝石のように貴重で輝かしい時間となった。
この映画を見たことを想い出すだけでも満ち足りて幸福な心持ちになることが出来るほどのものだ。
(人によっては、あのわけのわからない気取ったラストシーンは何だ!といちゃもんをつけるかも知れないが。しかし、劇場内にただよっていた、悲しい物語だけれどもそれを見た私たちは幸福だ、という雰囲気から想像すると、多くの人が満ち足りた気分でいたような印象があった。)
山奥の村で蜂蜜を採って生計を営む家族の物語。
オープニングの固定カメラによる長回しのシーンと、それに続くショットの組み立てと編集で、さりげなく技術レベルの高さを示して、この映画はのんびりと見る類いの映画とは違うぞ、と緊張感を観客に与える。
その後に続くサスペンスのエピソードがクライマックスにつながる構成も見事だった。
物語は主人公の少年ユスフの視点に固定されているので、大人がやる農作業や、さまざまな仕事は、何をやっているのか意味不明だが、生活のためには大事なことなのだろう、といった感覚で一貫しているところもクライマックスの感動につながっている。
クライマックスだけでなく、この映画は、全部の場面が感動的に美しい。
森を一緒に歩いていて、突然倒れて引きつけの発作を起こした父親を見て、なぜ父親がそんな倒れ方をしたのかの説明など何もないままに、ユスフ少年が川の冷たい水に手をひたして、父親のほおを優しくなで続ける場面など、何の意味もわからないままに感動して泣きそうになったほどだった。
ストーリーは平坦で、特に劇的なことは最後の場面にならないと何も起こらないが、これほど興奮してスクリーンを凝視し続けた映画は久しぶりだった。
これまで見たことのない新しい映画を見たときには必ず起こることなので、この映画には他にはない新しい何かがあるに違いない、それが何かはわからないが。と思ったことだった。
IMDb
公式サイト(日本)
ほぼ自然光だけで撮影したと思われる画面の美しさはカメラマンの優秀さのためだろう。
ふだんは画面の美しさなどどうでもいい、と思ったりすることが多いが、この作品に関しては、画面の光が物語の美しさにかなり貢献していたようだった。
映画はやはり、光をどうとらえるか、という製作スタッフの考えの深さが露骨にあらわれるジャンルの娯楽芸術であるのだな、と実感した。
父親とささやき声で話し合うときは自然に会話が出来るユスフ少年は、学校では吃音に悩まされて、ほとんど沈黙している。
朗読の上手な少女への尊敬の念と恋心の区別があいまいな感情の描写など、繊細過ぎて、この監督は相当のやり手だということがわかるが、さすがにヨーロッパの批評家を意識し過ぎているのではないか、と思ったりもした。
父親とは親密に話し、尊敬して好いているユスフ少年だが、母親への感情はかなり複雑で、これもまた繊細な演出が連続してあらわれる。
吃音に悩みながらも、教室では積極的に手をあげて朗読に挑戦しようとするガッツのあるユスフ少年のエピソードを中心に小さな村が描かれる。
悲劇的なクライマックスでユスフ少年が見せた行動は、この映画を見た人だけが持つことのできる至高のひとときをもたらしてくれる。パーフェクトと言っても良いほどに素晴らしい。
1回見ただけでは、この映画の豊かさの一部分に触れただけかもしれない、とさえ思われるほどだった。
ミツバチつながりで、ちょっと、ヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』や、『エル・スール』を初めて見たときの感じに似ているような気がしないでもない。
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