2010年。フランス。"ELLE S'APPELAIT SARAH".
ジル・パケ=ブランネール監督・脚本。タチアナ・ド・ロネ原作。
ナチス占領下のパリで起こったフランス人によるユダヤ人迫害事件を題材にした強烈な物語。
物語の力が強すぎて、この映画はひとつの映画作品としてはどうなのか、といったことを考えるゆとりもないほどに、物語にほんろうされて映画が過ぎ去ってしまったが、
2010年現在のパリに住むジャーナリストの女性が雑誌の企画で始めた取材が、サラというひとりの少女の身に起こった、知らないほうが良かった、それでも知る必要があった悲劇に迫っていく過程にはすごみがあった。
サラのむごたらしい悲劇が、メロドラマ調に未来への希望につながるクライマックスへの展開も、「うまい!」と思った。
ドライでべたついていない演出も良かった。演出で盛り上げようとしなくても、実際に起こった事件と、それに基づいて創作されたサラというキャラクターの力だけで物語は勝手に動いてしまう、おそらく原作(読んでいない)が相当にすぐれたものだったのだろう。
俳優もそれぞれに素晴らしくて、スピルバーグの『戦火の馬』に出ていた老人が、ほとんど全く同じような役柄で登場していたのは、スピルバーグがこの映画を見て非常な感銘を受けたためのキャスティングだぶりだろうと思った。
特に印象に残るのはエイダン・クインという俳優で、最初に主人公ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)が面会に訪れた場面では、全身から「拒絶」の感情をただよわせていたが、次に出会ったときには、「受諾」と寛容さを手に入れた穏やかな表情に変化しており、ジュリアのやってきたことは無駄ではなかったのだ、とひと目で理解できるように演じ分けており、芸の細かい俳優なのだなと思った。
物語の中心となるサラという女性については、周囲にいた人々が語るのみで、本人が何を考えてどう生きたのかについては謎が多く、特に描かれてもいない、すべては観客の想像力にゆだねられている、という作り方も原作に忠実なのだろうが、作品に底知れない深みを与える効果があった。
映画の中盤以降は劇場内にすすり泣きの声が聞こえ続けていたが、決して「泣ける」映画などではなく、「考える」映画として一貫していた点も素晴らしい。
IMDb
公式サイト(日本)
(C)2010-HugoProductions-Studio37-TF1DroitsAudiovisuel-France2 Cinema.
事実を知れば知るほど、周囲の人々だけではなく、自分自身も不幸になっていく、というジレンマにおちいり、思い惑うジャーナリスト、ジュリアを演じるクリスティン・スコット・トーマスの抑制されたミニマルな演技も、ドキュメンタリー映画を見ているような感覚に観客を誘導する効果があった。ような気がする。
若い監督にしては野心がなさ過ぎるように見えるのは、原作が強すぎたせいかも知れない。
ちょっと、毒を抜いた『ブラックブック』という印象もあった。
ラストシーンの、「ああ、何はともあれ良かった。」というメロドラマ的な着地の効果か、女性を中心に大ヒットしているらしく、近くの映画館で終了後は、別のシネコンで引き続き上映されるらしい。そういう話を聞くと、なるほど、ややフランス版の「韓流ドラマ」的な要素もある作品だったような気がしてきた。
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