2012年。「悪の教典」製作委員会。
三池崇史監督・脚本。貴志祐介原作。
二階堂ふみと染谷将太という『ヒミズ』の二人が再び共演している。二階堂ふみは宮崎あおいに似てきた。宮崎あおいの劣化コピーバージョンのレプリカントのように見える。しかし、よく見ると、それほどでもないのかも知れない。成長の一時期にちょっと似てきただけで、すぐに全く違う顔になるのだろう。『ヒミズ』とこれを見ただけでは、まだ未知数だった。
過去10年ほどの人気女優の変遷を振り返ると、いかに女優が光り輝く時間が短いかということに思い当たる。『時をかける少女』の仲里依紗が脚光を浴びて輝やいた時間は『時をかける少女』の舞台挨拶をしていた3週間ほどで終わったような印象がある。
あの女優はいま何をやっているのだろう、という女優があまりにも多すぎる。ゼロ年代の始まりのころに鮮烈な印象を残した女優の多くが今は地味な脇役専門になっていたり、いなくなっていたり、おかしな風になっていたりする。そういうことを意識すると、今どのような時代なのかは女優を見ると何となくわかるような気もする。
二階堂ふみには宮崎あおいのようなスター性は感じられないので、ひそかな願いは、ミシェル・ウィリアムスのような女優になってもらいたいものだ。
染谷将太はくせもの俳優になる予感がある。この映画でもすでにくせものであった。
染谷将太だけでなく、この映画は若手有望俳優のカタログ的な役割も果たしているので、日本映画の10年代はここに出ている俳優たちにかかっているのかも知れない。
宣伝のデザインに『バトル・ロワイアル』を意識したようなところがあって、ちょっと期待していた。流れる血の量は大量だが、『バトル・ロワイアル』のような残酷さや暴力描写の気が利いたところはあまりなく、意外と上品な演出をこころがけてある。ショッカー映画としては物足りないが、対象とされている観客層を考えれば、これでも上出来な部類だろうと思った。
ブレヒトの三文オペラが殺人の動機に関わるものとして使われていたが、効果的とは言いがたく、ないほうが良かったようにも感じられるほどだった。外国人が登場する場面はあまりにも白々しくて見るにたえない。そこだけ見るとひどい映画だったが、ラストシーンが終わった後では、奇妙なことに「意外と良い映画だったな。」という気分になった。
これに良く似たようなアメリカ製の学園もののスラッシャー映画のごみくずのような作品を数多く見すぎた効果に違いない。(『鮮血!悪夢の卒業式』みたいな映画。つい最近も『ブラッディ・スクール』という比較的まともな学園スラッシャー映画を見たが、それでもひどいものだった。)
アメリカ製のひどい映画と比較すれば、この『悪の経典』は飛びぬけてすばらしく、物語も登場人物のキャラクターもよく練られており、ていねいな作り方が際立っている。
公式サイト(日本)
学園スラッシャー映画の新たな傑作の誕生、というほどのものでもないかも知れないが、これくらいのクオリティがあれば、アメリカでは大絶賛されるに違いない。
ゲイの少年を演じる林遣都を見ながら、顔つきにちょっとくせがあるものの、『エヴァンゲリオン』の実写版があり得るとすれば、碇シンジ役は林遣都がふさわしいかも知れないと思った。
この映画の最大の見せ場は意外なところに現れた。体育教師を演じる山田孝之が、突然華麗なドラムテクニックを披露して、それを見ていた生徒たちが、「先生すごい!」と感嘆の声を発する。「大したことねえよ。」と言いつつも、まんざらでもなさそうな山田孝之だったが、その直後に殺人鬼の伊藤英明に殺されてしまう。
山田孝之がセクハラという形でしか愛を表現できなかった女生徒ミヤの名前をつぶやいて死んでゆく場面で場内が爆笑に包まれた。
ミヤ役の水野絵梨奈が演じていた、周囲の者たちからビッチとみなされている娘の孤独さや切なさの表現も秀逸なものだった。水野絵梨奈主演でスピンオフの映画を作ってほしいほどだった。
続編を作る気もないだろうに、続編を宣言して終わるのも面白い。
他にもいろいろ印象深いエピソードがあって、惜しい作品だった。
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