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Channel: 映画の感想文日記
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★ 『私が殺したリー・モーガン/私がモーガンと呼んだ男』

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2016年。アメリカ/スウェーデン。"I CALLED HIM MORGAN".
 カスパー・コリン監督・製作・脚本・編集。
 Netflixで『私がモーガンと呼んだ男』というタイトルで配信されているが、全国で劇場公開もされていて、『私が殺したリー・モーガン』というタイトルになっている。
 1972年2月18日土曜日、ニューヨークのジャズクラブで演奏中のトランぺッター、リー・モーガンが銃殺された。享年33歳。内縁の妻だったヘレンが持っていた拳銃によるものだった。なぜこんなことが起こってしまったのか、当時モーガンの周辺にいた人物で存命中の人々へのインタビュー映像と、ヘレンが1996年の死の1か月前に残した録音テープを基にリー・モーガンとヘレンの人生を検証しようとする作品。

 

 作品はヘレンへのインタビュー音声を中心にしているため、彼女の人生にスポットライトが当たる形になっている。13歳で最初の子どもを出産し、14歳で2番目の子どもを出産、この時点で人生に幻滅したと語る。17歳で39歳の男と結婚したが男は間もなく溺死。19歳の時にニューヨークに出て、電話交換手をしていたが、料理が得意だったこともあり、近所の貧しい無名のミュージシャンの食事の世話をするようになり、彼女のアパートはミュージシャンの集会所と化す。そこに現れたのが自分の子どもと同じくらいの年頃のリー・モーガンだった。
 モーガンは重度のヘロイン中毒で楽器や服や靴を麻薬を買うために売り払うほど困窮しており、ヘレンの前に現れた時も極寒の中コートも着ていなかった。心配したヘレンは、モーガンがコートを売り払ったという質屋にコートを買い戻しに行き、彼を更生施設に入院させ、やがてリー・モーガンの演奏の手配をするマネージャーになる。

 

 当時を知る関係者がモーガン夫妻の仲の良さを語るが、何か違和感が残る。ヘレンは貧しかったはずだが、ニューヨークに出て一挙に金持ちになったのか、料理が得意だったとしても自宅がミュージシャンの集会所になるには跳躍地点である何かがあったはずだ、作品の中では誰も語らないが、ネットで”リー・モーガン”と検索すると情報が出てきた。要するにヘレンは麻薬売買にも関与するギャングの一員だったようだ。マイルス・デイヴィスに売春婦扱いされたことを恨んでいるらしく「あの不潔な男」と吐き捨てるように言うのが気の強さを物語るが、それに近い立ち位置の時期もあったのかも知れない。年代があいまいだが、ヘレンがニューヨークに出たのは第二次大戦前でリー・モーガンと出会う10年以上前だろう。ゲイやレズビアンの友人が多かったというから会話なしには生きられないタイプの女性だったのだろう。
 生来の世話好きから童顔のリー・モーガンを放っておけなくなり、親身になる内におしどり夫婦になった。キャリア的にも身体的にも完全に死んだ状態だったモーガンをよみがえらせ、再び殺した女、ヘレン・モーガンという女性の奇妙で壮絶でもある経歴を残されたカセットテープの音声が語る。ニーナ・シモンの伝記映画でも聞き覚えのある、人生に過度に打ちのめされて開き直ったような老婦人の声だった。
 このインタビューが録音された経緯も面白い。大学でアフロアメリカンの歴史を教えていた人物が受講生の中に自分より年上の女性がいるのを見つけ、話すうちに「私もジャズが好きよ、私の夫はミュージシャンだったのよ。」という言葉から「モーガンさん、あなたの夫というのはひょっとしてリー・モーガンではありませんか?」と尋ねるとそうだという。インタビューを申し込んだが考えておくわといったきり返事はなく、7年後にインタビューを受けても良いと言われ、彼女の家に出かける。時間が長くなったので「この続きをお願いしても良いですか?」と言って承諾してもらったが翌月に彼女が亡くなったので実現しないままに終わった。死期を悟ったヘレンの告解のようなものだったのだろう。出所したヘレンは最初の子どもと供に故郷に帰り、やがて熱心なキリスト教徒となり、料理の得意なおばさんとして周囲の人々の間で人気者だったという。罪を犯した人間の更生の物語としても興味深い。

  IMDb

    公式サイト(日本)

 ウェイン・ショーター(年齢の割に記憶力と元気が良すぎる)を中心に語られるリー・モーガンが18歳で颯爽とデビューした時の無敵な存在感は相当にすごかったのだろう。当時の最先端のポップ音楽でヒップホップだったのだな、ということが解る。ドラッグでダメになるのも猛速度で、脚光を浴びて間もなく駆け下りている。しかし、この作品ではリー・モーガンは脇役に過ぎず、彼を射殺したヘレン・モーガンが主役である。1970年代初頭のテレビ番組「SOUL」での演奏の時のカラー映像がリー・モーガンの姿を生々しく鮮明に映していて、そこでの彼は若く自信に満ちているが、その時が晩年の姿でもあるというのは不思議だった。ジャズ・ミュージシャンは若死にするという固定観念があったが、80歳を過ぎたような現在でも元気な人が多いのも意外な気がした。
 ジャズを真剣に聴いた記憶はあまりないが、親しみを感じるのはフィルムノワールの影響だろう。ノワールに限らず映画とジャズとは相性が良いような感じがする。

 リー・モーガンと言えば「サイドワインダー」がヒットしたことぐらいしか知らない門外漢で、学生時代、1990年前後の京都市内のジャズ喫茶でリー・モーガンのレコードがかけられていた記憶はない。デヴィッド・マレイやオーネット・コールマン、チャールズ・ミンガスが多いフリージャズ寄りの今から想えば偏った選曲の店だった。「蝶類図鑑」という店で内は真っ暗だった。JBLのスピーカーで会話が全くできない大音量だった。アルバイトの男性や女性に飲み物を注文するとき声が聞こえないので手話のような身振り手振りで注文していたことを憶えている。

 

 

 

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