1966年。大映。
山本薩夫監督。三浦綾子原作。水木洋子脚本。
クリスチャンとして知られる三浦綾子のベストセラー小説を映画化した作品で、敬虔なクリスチャンらしく罪とは何かを考えつめたような内容にはなっているものの、
義理の母による娘への激しいいじめや、兄と妹との近親相姦に近い愛、夫に隠れた妻の浮気のような情念など、度を越したメロドラマ的な要素で大ヒットしたと思われる派手で濃い味のドラマだった。
真冬の旭川を舞台にした風景がモノクロの映画にはぴったりで、凍てつくような寒々しさが登場人物の心象風景に重なり効果的ではあった。
山本薩夫監督は『皇帝のいない八月』などで知られた職人監督だが、演出は荒っぽくてかなり下手くそである。ただ人間の俗っぽさや醜悪さを描くことにはさえていて、ときどき過剰にさえ見えるエロ演出には光るものがあるように見える。
『皇帝のいない八月』のときにも、30歳を過ぎたばかりでもっともエロかった時期の吉永小百合のおそらく唯一といっていいような激しいベッドシーンをわざわざ入れてくるほどにサービス精神にあふれた人物だったようで、
この作品でも、義理の娘(安田道代)の成長した肉体にみだらな視線をおくる父親の船越英二の場面など、必要以上に安田道代のなまめかしい脚や胸がクローズアップで映し出されていた。
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作品紹介
しかし、この映画の実質的な主役は、養子として育てた娘、陽子(安田道代)が、自分の実の娘を殺した殺人犯の娘だと思い込んだ夏枝(若尾文子)だった。
陽子の首を絞めて殺そうとしたり、日常生活の中でも長男(山本圭)を甘やかす一方で、娘にはつらくあたり、さまざまな陰険な嫌がらせをやめようとしない。
あげくの果てには、長男の友人で陽子のボーイフレンドになるかと思われた好青年、北原(津川雅彦)の若々しい肉体のとりこになり、エロ母と化して北原を誘惑する。
そんなとんでもない極悪非道の夏枝だったが、若尾文子が演じると、あまりに役柄にはまり過ぎたキャラクターなので面白くて、次はどんなひどいことをしでかすのかと楽しみながら見ていた。
原作はもっと崇高でシリアスな小説だったのかも知れないが、若尾文子の悪女ぶりが物語を引っぱっていく原動力となって、前半は限りなくコメディに近い悲劇として進行していった。
聖女のような清らかな心を持っているために、ひどいいじめにあっても決して人をうらんだりしない陽子も、あることがきっかけで、ついに自殺を決意して酷寒の地で息絶えようとする。
そこに陽子を愛する北川(津川雅彦)や、血のつながっていない妹に恋してしまった兄の徹(山本圭)などがからまり合って、物語は大団円をむかえる。
嫉妬深くて優柔不断な夫役の船越英二や、夏枝との不倫疑惑をもたれた成田三樹夫、意地の悪そうなおばさんの森光子など脇役も充実したそれなりに面白い作品だった。
この原作は映像化に向いているようで、何度もテレビドラマになったり、舞台化されたり、韓国や台湾でも映画化されているようだ。
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★ 『氷点』
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