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★ 『ふがいない僕は空を見た』

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2012年。「ふがいない僕は空を見た」製作委員会。
  タナダユキ監督。向井康介脚本。窪美澄原作。
  川島雄三の『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)を見たときに、いくらタナダユキ監督がすごいといっても、しょせんは相対的なもので、本当にすごい映画の前ではしょぼく見えてしまうなどと思っていたが、
 やっぱりタナダユキはすごい、と改めて思い直した。
 川島雄三監督の作品をその後いくつか見てみると、すばらしい映画がある一方で明らかにやっつけ仕事みたいな気の入っていない作品も少なくない。やはりプログラムピクチャーの時代の人なので、多忙な業務の中で当たりはずれが激しいこともやむをえなかったのだろう。

 2時間30分近い長編映画なので、長すぎるような気がしていたが、登場人物の何人かに焦点をあてたエピソードを組み合わせた群像劇のようなつくりになっていたので、実際はそれほど長さは感じなかった。
 ひとりひとりのエピソードをもう少し長くして90分が4つで計6時間くらいの作品にしてもらいたかったような気にもなった。

 映画の最初に描かれるタクミ(永山絢斗)とアンズ(田畑智子)とのエピソードを見ながら、興味深い物語だが、いまひとつ心に響かない、などと勝手に思いながら見ていた。
 しかし、タクミの物語とアンズの物語がそれぞれに分離して描かれだしたころから、これはちょっとすごいことになりそうだ、という予感のようなものを感じ始めた。
 アンズの義理の母(銀粉蝶)が登場したあたりから、巨大なカタストロフィの予感にわくわくどきどきする感情を押しとどめることが不可能になった。

 そして、タクミの友人であるフクダ(窪田正孝)のエピソードに移ってからは、これが近年まれにみる大傑作となるだろうことに疑いの余地はなくなった。
              公式サイト(日本)
映画の感想文日記-hugainai01
 公営住宅をゲットーとして描く、これは『赤い文化住宅の初子』でも行われていたが、誰もがうすうすは感じていながら、見て見ぬふりをしてきた現代日本の現実の正確なリアリティ描写だろう。
 フクダと、同じく公営住宅に住むアクツ(小篠恵奈)とのふたりが行う卑劣な行為を輝かしい青春映画として描くタナダユキ監督は、これ以外にはあり得ないという自信に満ちあふれているように見える。

 友人であるはずのタクミのネットに流出した動画の写真を大量にコピーして、町内の住宅のポストや、学校のロッカー、教室の机に配布して回るフクダとアクツの一見不可解な行動は、その行為に突っ込みを与えるひまを与えずに、美しく輝かしいものとして描写されているようにも見える。
 『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』でヒトラーのナチスに抵抗して大学で抵抗運動のビラを配って回り処刑されたゾフィーたちの姿にフクダとアクツの映像が重なり合う。
 これは奇妙な感覚だったが、そういう風に見えてしまったのはなぜだったのだろう。
映画の感想文日記-hugainai02
 フクダとアクツとが行った行為はどうしようもないクズ人間の行為だが、それを輝かしい青春映画として映し出すとは、タナダユキ、おそるべし、という感慨が訪れた。
 脱け出したくても脱け出せない現代日本のゲットー、公営住宅の描写はしつこいほど念入りな細かいエピソードの積み重ねでなされている。

 フクダとアクツとは、2ちゃんねらーとかネット右翼と呼ばれる人間のプロトタイプとして屹立する。メディアでは唾棄するべき卑しい存在、みすぼらしい人生の敗北者としてのみ描かれてきたネトウヨ、ネラーたちに対して、タナダユキ監督は、「すべてよし!」と宣言する。それはそれ自体として美しく輝かしい存在でもある、とでも言いたげにさえ映る。
 『赤い文化住宅の初子』のときにも思ったことだったが、ごみクズみたいな人間を美しく光り輝くごみクズとして描き出す。それこそが現在進行形のプロレタリア文学を実践するかのように見えるタナダユキ監督にしか出来ない独自の路線であるに違いない。

 観念的に過ぎてリアリティのないシーンがあるにはあった。フクダが母親のアパートに行き、「なぜ自分なんかを産んでしまったのだ。生まれてこなければ良かったのに。」とひとりごとのようにつぶやく場面などは見ていて、少し白々しい気分になったりした。
 幼女にいたずらして逮捕された大病院の息子でエリートのコンビニ店員(三浦貴大)のエピソードも三浦貴大がかなり良い演技を見せていただけに、ストーリーの図式的で訴求力に欠ける部分がもったいなかった。
 ただし、ストーリー自体は意外とそれほどでもない(ように思われた)にも関わらず、出ている俳優の顔のすばらしさ、主演の二人だけでなく、特にネトウヨの原型のような窪田正孝の存在感、同じくネトウヨの原型たる小篠恵奈の妖しく陰険な目つきの美しさなどが、この作品を跳びぬけた傑作にする効果をもたらしていたように思われた。

 他人を排斥したり、誹謗中傷を繰り返すことでしか自己同一性を保つことが出来ない高校生の姿は、『桐嶋、部活やめるってよ』でも描かれていた現在の高校生の姿だったが、その中で唯一の他者を否定しない高校生だった竜汰(落合モトキ、パーマ頭)とかすみ(橋本愛)とがひそかに愛し合っていたことにも、今では必然性を感じたりもする。コミュニケーション能力が高く、他者を排除しない二人は、この世界の真の王者として、やがて人口の1パーセントに満たない勝利者への階段を手を携えながら登っていくに違いない。
 それではフクダとアクツには未来はないのだろうか。
 タナダユキ監督はそうではない、と物語っているようだ。自分がネトウヨやネラーと大差ないごみクズだとこっそり自覚しているわれわれ観客に観音菩薩のようにこの映画を提示して生き延びる勇気を与えてくれているように思われたりしないこともない。

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